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Ivan Illich #Conviviality
コンヴィヴィアリテのための道具
筑摩書房 コンヴィヴィアリティのための道具 / イヴァン・イリイチ 著, 渡辺 京二 著, 渡辺 梨佐 著
主張の根拠はなにか?
例えそうだとして、産業主義的なものが生み出したものもあるのでは?そのれとデメリットを比較しないといけないのでは?
デメリットが上回るのが第二の分水嶺ということか
産業主義的な生産性の正反対
自分主体、個人主体の社会
ハーモニーが描く世界はこれの逆
道具が一定の規模を超えると多くの弊害が生じる
環境負荷
個人の自由の抑圧
人々つながり切れる
極端な専門化
共同体の崩壊
道具がそのような限界を超えていない社会をコンヴィヴィアルと呼びたい
節度ある楽しみ
限界を超えると節度ある楽しみか破壊される
道具に統制、依存、収奪、不能にさせられる
囚人は十分に道具を与えられているが、コンヴィヴィアリティが剥奪されている
具体的にどの品物か
どのように使うか
いつ使うか
つくりかえてよいか
こういった自由はない、単なる消費者
コンヴィヴィアルな社会とは
人が十分に自由に道具を利用でき、その自由は他の人の自由によってのみ制限される
独占化 は バイオパンク を思い出した
The Great Dictator の speech も思い出した
分水嶺
医療
医療が病気を生み出す
専門化の限界効用の低減
第二の分水嶺を超えると
道具を管理する人とその道具に支配される側にわかれる?
Nota が目指している道具もこれに似ている
自由も大きなテーマの一つ
産業主義的がだめらしいが、、、
生産主義とも?
道具には人工的な制限が必要?
自転車はその構造、原理的に、制限を内包している
現代のテクノロジーや人間が設計した制度には、そのような制限は内包されていないことが多い
Bitcoin はなにを不可能にしたのか ということを考えてみるといいかもしれない
根源的独占
お金はなにを根源的に独占しているのだろうか?
お金を稼がないと生活できない。信頼を重ねても生活できない。
お金を使わないとものが買えない。
実質、お金を使ったコミュニケーション以外はとても少数
移動速度の話
学校教育の話
創造する心もなんか関係ありそうな気がしてざっと読んで見ている
「法的手続きの回復」として、法律についても触れている
法のデザインとも関係がありそう
言葉のはなし
動詞から名詞の話
どこかで聞いた記憶がある、、、
ゆる言語学ラジオ?
中動態?
Maker movement 的なものとも関係ありそうか
Gavin Wood さんが Web3 について考えるときにもっている課題感と Illich がもっている課題感は近いものなのではないだろうか?
同じ問題を別の視点から?
もしくは illich の課題に Wood のものはその一例として含まれる感じか?
conviviality のための道具ということは
道具が変われば人が変わると言うことを前提にしている
なぜ自立共生が必要なの?
Michel Foucault の規律権力
Lawrence Lessig の CODE