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主張の根拠はなにか?
例えそうだとして、産業主義的なものが生み出したものもあるのでは?そのれとデメリットを比較しないといけないのでは?
デメリットが上回るのが第二の分水嶺ということか
産業主義的な生産性の正反対
自分主体、個人主体の社会
ハーモニーが描く世界はこれの逆
節度ある楽しみ
限界を超えると節度ある楽しみか破壊される
道具に統制、依存、収奪、不能にさせられる
具体的にどの品物か
どのように使うか
いつ使うか
つくりかえてよいか
こういった自由はない、単なる消費者
人が十分に自由に道具を利用でき、その自由は他の人の自由によってのみ制限される
第二の分水嶺を超えると
道具を管理する人とその道具に支配される側にわかれる?
道具には人工的な制限が必要?
現代のテクノロジーや人間が設計した制度には、そのような制限は内包されていないことが多い お金を稼がないと生活できない。信頼を重ねても生活できない。
お金を使わないとものが買えない。
実質、お金を使ったコミュニケーション以外はとても少数
移動速度の話
創造する心もなんか関係ありそうな気がしてざっと読んで見ている どこかで聞いた記憶がある、、、
Gavin Wood さんが Web3 について考えるときにもっている課題感と Illich がもっている課題感は近いものなのではないだろうか? 同じ問題を別の視点から?
もしくは illich の課題に Wood のものはその一例として含まれる感じか?
道具が変われば人が変わると言うことを前提にしている